レトロマレーシアポップスの代表的歌手Sheila Majidについて

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シティポップ、レトロポップスブームが盛り上がった近年。その波に乗って注目されるべきマレーシアの良曲の一つに、Sheila Majidの”Sinaran”があります。

ミラーボールに照らされたダンスフロアで、若い男女の熱い恋物語が始まりそうな一曲。
この曲を一度聴いたあなたは、きっとしばらく”Sinaran”のフレーズが頭から離れない!そしてSheila Majidのことが気になって仕方がない!はず。

ということで今回は、マレーシアの「ジャズ・クイーン」、Sheila Majidについて調べてみました。

Sheila Majidのプロフィール

1965年、マレーシアクアラルンプール生まれ。マレー系の母親、ジャワ系マレーシア人の父を持つ。17歳の時に友人のパーティーで歌ったところ、プロデューサーの目に留まりデビュー。
マレーシア国内のみならず、国外でも名を轟かせる。
特に隣国インドネシアでの活躍はめざましく、1987年インドネシアの音楽賞で女性R&Bアーティスト賞を受賞し、1988年にはインドネシア全国ツアーを開催する。2004年にはインドネシアのTrans TVでSheila Majidの特集番組が組まれるほどインドネシアでも人気が高い。アルバム”Cinta Kita”では、インドネシアのアーティストAndi Rianto, Tohpati and Indra Lesmanaとコラボした。

日本との繋がりに関していうと、1989年の東京音楽祭で”Sinaran”を披露したことで有名。また、アルバム”Emosi”と”Warna”、シングルの”Sinaran”は日本でもリリースされている。

おすすめ曲

Sinaranと日本語カバー

冒頭に紹介した”Sinaran”は、Sheila Majidの代表曲。この曲は、1989年の東京音楽祭で披露したという情報を先ほどお伝えしました。その東京音楽祭での映像もYouTubeに載っていて、すごく楽しそうに歌っている姿に、聴いているこちらもワクワクさせられます。

また、この曲は1997年に島田歌穂さんが、「抱いて~Sinaran~」というタイトルで日本語でカバーしています。日本語歌詞は島田歌穂さんご本人によるもので、マレー語から日本語への直訳ではなく、メロディにあった自然な日本語歌詞なのですごく聴きやすいです。

Antara Anyer Dan Jakarta

続いてご紹介するのは、”Antara Anyer Dan Jakarta”。タイトルは日本語に訳すと「アニェルとジャカルタの間」。ここで出てくるアニェル(Anyer)は、おそらくジャカルタから車で3時間ほどに位置するアニェル海岸のこと。インドネシアを舞台にした曲です。

この曲は元々、インドネシアの女性歌手Atiek CBが1986年に歌った曲でしたが、Sheila Majidがカバーしたことで有名になりました。この他にも、Sheila Majidはインドネシアの女性歌手Vina Panduwinataの名曲”Dia”もカバーしています。

このことから分かるように、インドネシア音楽シーンとマレーシア音楽シーンの交流は当時から非常に活発だったようですね。インドネシア語とマレーシア語は言語的に非常に類似しています。マレーシアの歌手がインドネシアの曲をカバーしても、マレーシアで歌詞がそのまま通じるから良いですね。

Tiru Macam Saya

続いての曲も、先ほどに引き続きカバー作品。ただし、こちらは過去のマレーシアの作品のカバーです。”Tiru Macam Saya”は、初期マレー歌謡界の歌姫サルマ・イスマイル(Saloma Ismail)の曲。サルマ・イスマイルによる原曲も本当に素晴らしいので必聴ですが、Sheila Majidのカバー版もそれに劣らずアレンジがとっても可愛い。途中でサンバのような賑やかな曲調に変わるところも、伸びやかなSheila Majidの歌声にマッチしていて、良い編曲だな〜と思います。

この他にも、Sheila Majidは1950-60年代に活躍した「マレー音楽の父」P.Ramleeの作品”Getaran Jiwa”など、過去のマレーシア作品のカバーを歌っています。

以上、今回はSheila Majidについて調べてみました。
皆さんのお気に入りのレトロマレーシアポップスは、ありますでしょうか。ぜひコメント欄で教えていただけると嬉しいです!

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