「多様性」や「ダイバーシティ」という言葉がとても流行っています。2,3年前から聞かない日はないぐらい、メディアが大好きな言葉になりましたね。
うーんでも、「多様性」ブームの急な広がりは、「とりあえず多様性と言っておけば流行りに乗れるだろう」感がちょっと見えちゃってる部分もあったりして。笑
パンケーキブームや、タピオカブームなど、流行りというものは廃れる時もあるもので。「多様性」や「ダイバーシティ」も、いつか世の中が飽き始める時が来るんじゃないか、と思ってます。
「多様性」はきっとブームで終わって良いものじゃない!そこで、そもそも「多様性を受け入れる」ために必要なことって何だろう?を考えてみました。
自分も「多様」な人間の一人であるということ
「多様性」は、LGBTや、障害者や、外国人という文脈で語られることが多い。それらに当てはまらないあなたは、「多様性」という言葉をどこか他人事に感じてしまうかもしれない。
朝型の人と、夜型の人。玉ねぎが好きな人と、嫌いな人。安定を求める人と、挑戦を求める人。数学が得意な人と、苦手な人。田舎に住みたい人と都会に住みたい人。
好み、得意なもの、人生において重視するもの。あなたを形作る全てのピースがあなたの個性で、その個性の違い全てが「多様性」。別にマイノリティと呼ばれる人だけが、「多様」なわけじゃない。
「LGBTQの方が生きやすい社会を作ろう」というのと同じ目線で、「朝型の人も夜型の人も生きやすい社会を作ろう」と言う人がいたって良い。あなたが少しでも生きづらいと感じているなら、社会があなたの「多様性」に沿った形にまだ発展できていないのかも。
属性を超えて相手の本質を見るということ
国境という概念を作ったのは大昔の誰かさん。人の性別を体の特徴だけで(心を無視して)男性と女性に分けたのも過去の誰かさん。
過去の誰かが作ったグルーピングの中で、人々は生きている。そして、これまた過去の誰かが作り上げた属性ごとのイメージで、人々は勝手にレッテルを貼られる。
日本人だから全員アニメ好きでしょ?いやいやアニメ見ない日本人だっていますけど。
男性だからメイクしないでしょ?メイク好きな男性もいますけど。
人の属性は、その人を大雑把に判断するのには便利な道具だけど、その人の考えや価値観全てを表せるものではない。
属性を超えて、相手の価値観を知ったときに、相手の魅力も見えてくるはず。知ろうとせずに、属性だけで「この人はこういう人だ」と判断して、相手の魅力を知り損ねるのはもったいない!
あなたの境遇は、ほぼ偶然の産物であるということ
私は犬の肉を食べたことがないし、今後も食べたいとは思わない。でもそれは犬を食べない社会に生まれたから。もし、家族、友人、周りの人全てが犬を日常的に食べていたら?きっと私も犬を食べることが当たり前だったのかも。。
私が、犬を食べない社会に育ったことは、偶然のこと。そして同じように、犬を食べる社会に生まれた人も、偶然そこに生まれただけ。
人の境遇は、出身地、性別、親の経済状態、容姿など、「偶然そう生まれただけ」という偶然の結果であることがとても多い。世間のすべての人が、あなたと同じ条件を与えられたわけではない、という前提があると、きっと考え方の違いも認めやすいでしょ?
「同意する」と「拒否する」の間に「考え方を受け止める」余裕を持つこと
私は同じバスタオルを2日続けて使う。でも、妹は毎日バスタオルを洗いたいらしい。私は手間を省くことを重視し、妹は清潔さを重視する。重視するものが違うけど、毎日バスタオルを洗いたい人の考えは理解できる。
女性である私の恋愛対象は男性。同性愛者の気持ちが完全に分かるわけではない。でも、世の中には同性を好きになる人もいるのだ、ということは理解できる。
世の中には色んな考えの人がいて、全ての考え方に完全に同意すること、共感することが「多様性を認める」ということではない。全ての考え方に共感はできなくても、「世の中には色んな考え方があるんだ」という存在を理解し、認めることが、「多様性を認める」ことだと思う。
自分と違う考え方の存在を認めたからと言って、あなたの考え方が脅かされたり、否定されたりすることはないから大丈夫。皆が「多様性を認める社会」を目指せば、あなたの考えだって皆んなに認められるから。
多様性を受け入れる社会は、選択肢の多い社会
何歳で留学してもいい、どんな人と恋愛してもいい、どんなことを目標にしても良い。
多様性を受け入れる社会において、人生の選択肢は、人の数だけある。
あなたがどんな人生の選択をするのも、あなたの自由。
皆が互いに尊重し合う社会は、きっと全員にとって生きやすい社会になるはず。
最後に
取り止めのない文章をダラダラと書いて、あーまとまりが悪い。。
自分で読んでも分かりにくい文章を、よくぞここまで読んでいただきました。ありがとうございます。
伝えたかったことはつまり、「人類全員が、生きたい人生を生きれますように」ってこと。うぇー臭いこと言うよね〜。でも、そんなこともたまには言いたい。
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